南大隅町 MINAMIOSUMI TOWN
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更新日:2022年3月18日
島津二十代藩主綱貴のころの薩摩藩の薬園跡です。遠く西洋方面から薬草を輸入し、幕末までの医学研究を試みたと伝えられます。3000平方メートルの園内には、龍眼、レイシ、オオバゴムノキ、アカテツ、バンジロウなど南方系の珍しい植物が生い茂っています。特に、龍眼の丸い実は、薬用や食用として珍重されたと言い、今も当時の面影を残しています。
(入園料:無料、開園時間:常時開園)
標高182メートルの山頂の岩壁に刻まれた連弁付き浮彫りで、像の高さ約1メートルの阿弥陀如来坐像です。
すぐ隣の岩壁には、出家のものとみられる室町時代中期の宝塔的五輪塔二基と観音像とみられる仏像が一体安置されています。さらに隣の岩壁には応永中期の佐多氏一族のものとみられる板碑および鎌倉中期頃の五輪塔二基が収められています。
祢寝(ねじめ)氏の初代清重、二代清忠、三代清綱、四代清親ならびにその夫人たちの墓塔です。
この石塔群は祢寝氏二十四代清香が宝暦3年(1753年)に「わが祖先の墓」として修造したものです。奥には清香の孝心をたたえた極楽寺の照海和尚の手による石碑が建立されています。
経文中の一字を一石に書いて土中に埋め盛土をしてつくった一石一字の経塚で、大きな蓋石もつくられています。
元禄12年(1699年)6月24日に高野山一輪院の僧が祈願して作ったものと考えられていますが、蓋石には薬師如来がかたちどられています。
また、ここには僧侶達の追善供養塔や多くの自然石の塔婆があることから、僧侶を含む疫病で死亡した人々の追善供養のためのものと考えられています。
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